ーーー「海の駅・湯がっぱ」がある壱岐島・湯本地域には、地域住民が大切に紡いできた古い歴史がある。
そこには、島民にも知られざる壱岐の姿が隠れている。
「ゆのもと探訪」は、その魅力を少しでもお伝えするための文章を記すものである。

第一回目の記事は、「牟田神社子供角力 (むたじんじゃこどもずもう)」である。
湯本地域は、壱岐のなかで唯一、温泉が湧き出ており、何軒かの旅館と入浴施設が道なりに連なっている。この地域に湧き出る湯本温泉は、「子宝の湯」として名高く、昔からどの家も子宝に恵まれることが多かったようだ。
その中で、今回取り上げる「牟田神社子供角力」は、ただ単に、地域の交流としてだけではなく、湯本地域の中心に位置する牟田神社の神事、伝統文化として行われている。

当日は8月18日、かんかん照りの快晴。
例年、旧暦の6月29日に開催されている。
わたしは、『8:15ごろに海老館に来て』とだけ言われていた。
海老館とは、釣り人に人気の湯ノ本地域の温泉旅館である。到着すると、炊き立てのご飯の甘い香りがした。中の広間では女性たちが大きなおにぎりを作っていて、握られたおにぎりが綺麗に並んでいる。(どうやらお相撲の段取りは持ち回り制で、その担当となった家族は「宿」とよばれる。女性がおにぎりを握る場所も「宿」。今回は海老館の館主が「宿」担当だったよう。)参加した子どもたちに一人当たり2つずつ渡すのだそうだ。今回は参加する子どもが11人なので、22個。

「おかみさん(神様)の分もいるの?」「確かいるよね」「どーだったかな」

このお祭りの手順は、紙に残っているわけではないので、記憶と、口伝えのみで続いている。一昔前は、参加する子どもの数が多かったので、おにぎりを作るのも時間がかかったのだそう。おにぎり作りが終わると、女性たちは家に一度戻り、子どもたちの相撲の準備をする。

ちなみに、男性は、前日までに、藁を敷き詰めて土俵づくりをする習わしがあるそうだ。

壱岐島内では、他にも「子ども相撲」が開催されているが、女人禁制、かつ、赤ふんどしをしめて行われるものは珍しいそうだ。4才の双子の男の子が、おじいちゃんにふんどしを締めてもらっている姿を見ていると、神社のあたりから太鼓の音が聞こえてきた。神事が始まる合図である。

「ほら、早くいこう!」

既に汗だくになりながら、神社に急ぐ。
牟田神社は、住宅が立ち並ぶ中にポツンとある小さな祠だ。
藁が敷き詰められ、土俵ができていた。その上は、女人禁制。土俵の周りには藁が敷き詰められており、それ以上女性は立ち入ることは出来ない。
2歳ぐらいのよちよち歩きの子から、10歳くらいの大きなお兄さん。それぞれ同じくらいの年齢の子と取り組みをすることになる。
参加者が集まると、全員土俵の中に集められ、神事が始まる。
宮司が祝詞をあげる。少し神妙な空気が流れる。玉串拝礼がされ、宮司が土俵の中心に清めの塩を撒くと、子どもたちが興味津々で集まっていた。
神事が終わると、取り組みが始まる。
さっきまでふざけていた子も、心なしか緊張した凛々しい顔つきになっている。
小さな子はそれぞれお父さんに操られてなんとか土俵の中に入り、ベソをかきながら微笑ましい泣き相撲である。

大きな子はなかなか迫力があり、勝っても負けてもいきいきとした笑顔が印象的だった。

周りの大人は、笑顔で、時には応援しながら誇らしげに子どもたちを見守っていた。全員が勝っても負けても賞品のおもちゃや、お菓子をもらい、怪我もなく無事に全ての取組を終え、解散となった。

その後、また家に戻り、しばらくしてから、海老館へ。
朝握ったおにぎりをもらいにいくのである。子ども一人につき、おにぎり二つと、壱州豆腐半丁。海老館の大将が、この子ども相撲が江戸時代から続いているそうだと教えてくれた。

小さな島の、小さな町の、小さな神社の、小さなお祭り。
それを毎年根気よく続けていくことは、簡単なことではないはずだ。単純なお祭りとして行われているだけで、儲かるわけでもない。ただ、江戸時代から、もしかしたらそれより前から続いているかもしれない神事、伝統文化が今まさに続いていることは、誇るべきことだと感じた。わたしも可能な限り、この小さな伝統文化をこれからも見守っていきたい。